中2松江塾【初代公認】ママブロガー♪アミュのドタバタ「音」日記

松江塾との出会いに感謝!色々な出会いに感謝!

心の内を書いてみようかな。

※重ーい、暗ーい内容になるので

苦手な方はここで閉じてくださいね。

(心の整理がついたらこの記事は削除

しようと思っています。)

 

 

今日の空。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アミュ。一児の母。

 

音楽畑で生きてきた私。

 

音楽教室の講師、ブライダルプレイヤー、

演奏家として様々な所で演奏活動。

芸能界の方のパーティーや、

一流企業のトップの方々が集まる場での

演奏。

歌手のバックミュージシャン。

テレビ出演。

 

華やかな世界でした。

 

 

特に芸能界の方々は

本当にオーラがあって、

でもテレビに映っている印象とは全然違い

とっても気さくな方が多い。

 

私の20代は夢の中のような生活でした。

 

 

ここまでなら

どこが暗い?ってなりますよね。

 

高校1年生の時でした。

 

授業中に突然発作が起きて

意識を失いました。

 

 

そこからが地獄でした。

 

何をしてても

地に足がついていないような感覚。

 

発作のトラウマから

授業もまともに受けられない。

 

酷いときは学校の門もくぐれない。

 

頻繁に微熱が出る。

 

もちろん発作も続いている。

 

受験が終わって

やっと始まった高校生活。

 

きっと一番楽しい時期なんじゃないかな。

女子高生。

 

憧れの部活にも入り

まさにキラキラ過ごす予定だった。

 

 

なのにこの体調不良が原因で

授業に最初から最後まで出られないし

大好きな部活にも

病院の診断書を出して

みんなと同じことをこなすのは無理だとの判断で制限がかかる。

 

 

高校生なんてまだまだ人生経験の未熟な時。

 

自分の体に起こっていることが

全然受け入れられなくて

私は毎日絶望の中で生きていました。

 

私はみんなと同じようには生きられないんだ。

こんな私にこれから何が出来るの?

 

将来の事も考えられないし

どうせ私には無理だと。

 

今思えば「なんとかなるよ」って

言えるけど

 

当時の私には無理だった。

 

真っ暗な闇でした。

 

父はちょうどその頃単身赴任で海外にいました。

 

なので母子生活。

 

毎日母と泣いていました。

 

どうすればいいのかわからない。

 

高校を辞めたいという話もしました。

 

 

勉強に集中することも出来なかった。

テスト中も発作が起きれば

最後まで解けない。

 

順位なんて散々。

 

 

とにかく毎日生きる事に必死だった。

 

 

唯一、かすかな光をくれたのは

やっぱり音楽だった。

 

部活も思うようにこなせないけど

音楽だけは諦めたくなかった。

 

 

悔しい思いを全部音楽にぶつけていた。

 

 

私の体は薬でコントロールされていた。

 

 

発作がこれ以上起きないように

薬で抑えて抑え込んで。

 

 

 

ほんとにギリギリだった。

高校卒業までの道のりは綱渡りだった。

いつ落ちてもおかしくなかった。

 

 

だから卒業式、ちっとも涙が出なかった。

 

やっと終わった。

それだけ。

 

 

 

 

お薬でのコントロールはしたまま

音大に入学した。

 

 

大学は高校とはまた違う自由さが

私を少しずつ変えてくれた。

 

しかもどこを見渡しても大好きな音楽だけの世界。

 

 

ただただ音楽に没頭できた。

 

 

そしてそのまま音楽の仕事に就いた。

 

 

 

将来の事を全然考えられなかった

高校時代。

 

今の私は奇跡です。

 

結婚して出産も経験。

妊娠中は大変すぎましたが笑

 

 

私にも出来た。

 

 

前にブログで書いたけど

今もね、体調の波はあります。

制限もあります。

出来ないこともあります。

 

 

けど、

なんとかなりました。

 

息子に会えました。

 

生きていて良かった。

 

 

 

今は

高校の時にしっかり向き合えなかった勉強を

息子と一緒に学ぶ母ちゃんになりました。